温泉街が下宿街。浅間温泉は下宿の街

◎学生街の喫茶店はありそうだけど、温泉街の学生街(下宿街)は浅間温泉だけ??

◆学生街・下宿街はどうしてできる?

君とよくこの店に来たものさ~♪訳もなくお茶を飲み話したよ~♪

と、言うのはガロの「学生街の喫茶店」ですね。よく学生時代に聴いていました。

以前、音楽をほとんど聴かないというお話をした気がしますが、フォークソングは耳に入ってきます。歌詞が分かりやすいので好きなのです。(ちなみに30代です。)

さて、学生街には喫茶店や学生向けの食堂はそりゃあるだろうと思われます。

が、学生街に温泉、もしくは温泉街が学生街・下宿街って浅間温泉以外にあったのでしょうか?

とある地域が学生街・下宿街になるためには条件があります。

学生数の多い学校からアクセスがよい。

他にも学生が集まる要素がある。

①は当然のことです。

昔の学生は車はおろか自転車すらも所有していない場合が多かったので徒歩圏内でなくてはいけません。

どんなに歩いたって1時間でしょう。

②はいろいろな要素があります。

「安くてうまいものが揃ってる商店街が近くにある」でもいいですし、「夜遅くまで空いている図書館が目と鼻の先」でもいいでしょう。

①は基本要素として、プラスアルファの②があることによって学生が多く住む街が出来上がるような気がします。

そして、住む人が増えることでお店も増える相乗効果が生まれ、さらに賑やかになっていくのでしょう。

◆温泉街という「よそ者」を受け入れる土壌

浅間温泉は1000年以上の歴史のある温泉街ですが、「学生」というものができて、さらに下宿生が増えたのは松本に旧制松本高等学校ができてからですから1919年以降でしょう。

ただ、それ以前から温泉街はいわゆる「流れ者」の受け皿でした。

訳アリの人が温泉旅館で仲居として働く、芸妓として働いている、身の上は話さない、、、みたいな話は昭和初めころまでの小説とかでよく出てきそうなことです。

松本清張の小説とかにもそんな犯人が出てきそうです。

ということで、温泉街は比較的、よそ者に寛容な土地柄だったと言っていいでしょう。

また、旅館で働く人たちのが住むための下宿がもともとあったとも考えられます。

そこの空室にうまいこと入り込んだ学生がいて、そこからみんな借りるようになってきた・・・と自然発生的な気がしないでもありません。

◆浅間温泉は文人墨客のサロン。伊藤佐千夫率いるアララギ派発祥の地

温泉街は文人墨客のサロンという面を持っていました。

よく温泉街の老舗旅館とかに行くと「夏目漱石ゆかりの地」(道後温泉)とか「つげ義春・ゲンセンカン主人」(湯宿温泉)とかを見かけます。

浅間温泉は伊藤左千夫率いるアララギ派の根城でした。

伊藤佐千夫は千葉県の成東町出身で実家の隣町です。

「野菊の墓」が有名な歌人です。

作家たちは温泉宿に逗留し、知識人が集まるサロンのように使い、喧々囂々、切磋琢磨してお互いに刺激しあっていました。

◆浅間温泉、信州大学は近いけれど、「どくとるマンボウ」の旧制松本高等学校は遠かった。

旧制松本高等学校はその後の信州大学の前身となりましたが、1973年に現在の旭キャンパス(旧日本陸軍第50連隊跡地)に移転するまで、現在、都市公園になっている「あがたの森」にキャンパスがありました。

現・信州大学旭キャンパスは浅間温泉へ割と近い場所にありますが、旧制松本高校は測ってみると(篶竹荘から)3.9㎞。

徒歩で1時間の距離です。

結構遠い。

それでも、篶竹荘もそんな時代(当時は「上條下宿」という名前)から学生をメインとした下宿をやっていました。

それは、「よそ者」を受け入れる土壌文人墨客のサロンとして浅間温泉があったからではないでしょうか?

当時の大学生は今以上に「知識人」の部類です。

最上段で挙げた「①学生数の多い学校からアクセスがよい。」ではちょっと弱い浅間温泉でしたが、「②他にも学生が集まる要素がある。」(知識層のサロンとしての場所)という土壌があったからこそ自然と学生下宿が増え、温泉街+学生街+下宿街みたいな面白い街ができたんじゃないかと思います。

◆浅間温泉は温泉街・旅館街・繁華街・住宅街・下宿街がコンパクトに混在する。めちゃくちゃ楽しい街。

↑は半径500mと1㎞の同心円です。

以前の読み物「徒歩圏内&自転車圏内を松本で考えてみる」で書きました通り、浅間温泉は半径500m(直径1㎞)というものすごいコンパクトなエリアに収まります。

その中に、旅館街があり、旅人の遊ぶ場である繁華街があり、最盛期は芸妓さん200人が在籍していたという歓楽街でもあり、江戸時代の湯守からの流れを汲むひとが多く住む住宅街があり、学生を多く受け入れた下宿が建ち並ぶ下宿街としての要素も含んでいました。

そして、それを全部ひっくるめて「温泉街」です。

今でこそ松本市と合併してしまいましたが、本郷村時代にはその中に役場も銀行も、郵便局もアリ官公庁・オフィス街としての側面もあり、その名残はまだ残っています。

半径500mなんてホントのホントに徒歩圏内です。

そんな中に全部がぎゅっと集まっているのです。

三方を山に囲まれた温泉街にです。

こんな全部ごちゃまぜに混ぜ込んで、しかもコンパクトに収まっている街、他に聴いたことがありません。

有名な東の横綱草津温泉は学生街ではないでしょうし、住宅街としての要素は少ないでしょう。

浅間温泉は最初から「住む人」の比率が高い温泉街でした。

西の横綱別府温泉は湯量が毎分8万リットルというお化け温泉街で半径500mにはいいか悪いか到底収まり切れません。

浅間温泉は半径500m、わずか0.785㎢にすべての要素が詰まっています。

 

◆コンパクトに混沌。いろんな要素が詰まった街、浅間温泉

なんか、書いてて興奮してきました。

こうやってちゃんと羅列してみると浅間温泉って思った以上にすごい街だったんだと気づいてしまいました。

少なくとも2015年に篶竹荘を始めたときは、何となく、「毎日温泉には入れて街にも近い、こんな住みやすい地域に下宿が無くなってくのはおかしい!」くらいの温度(もちろん移住者を受け入れる下宿を作りたい、という前提はあった上)でシェアハウス(下宿)を始めたのですが、なんか思っていた以上のポテンシャル。

旅館街・繁華街・歓楽街・住宅街・下宿街・学生街・官公庁/オフィス街・・・これらが一緒くたにぐちゃぐちゃに交じり合う街、浅間温泉。

一面的な顔でなく、多面的だから面白い。

混沌としているからこそ街は面白くなると思っています。

ステテコ共和国しかり、です。

今でこそ、最盛期と比べたら静かになっていますが、大学も近くなってますし、衰退してしまった要素でもまだ名残は多く残っています。

これらのポテンシャルを活かせば復活するのは必然と言えるのではないでしょうか。

なんかすごく楽しみになってきました。

ちょっと興奮しすぎたので、みんなドン引きしそうなのでこの辺で今日はやめておきます。

そんな可能性を秘めた浅間温泉に住んでみたい方はぜひ「篶竹荘」か「第2ペンギン荘」への移住をご検討ください、と宣伝みたいなことを言って締めさせていただきます。

それではみなさま、ごきげんよう。

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